「基準値」論争は何を語ったか:「メラミン汚染」報道から考える(上)
Resource
Food Science
Journal
食品と科學
Pages
-
Date Issued
2009-02-01
Date
2009-02-01
Author(s)
Tokura Tsunenobu
Abstract
昨年の九月から十月にかけて、各国の『新聞』紙面を賑わした食品等の「メラミン汚染」報道では、いわゆる「情報公開」や「意見交換」のあり方を根本的に考え直すための手掛かりが示されていました。そこで『「記者の目」とは何か』で用いた方法を更に発展させ、主として台湾と日本のステレオタイプの比較という視点から、メディア社会のあるべき姿を模索してゆきます。そこでまずもって「メラミン汚染」という同一の事象から、構造的な認識作業を通過させなくてはならない理由とは、即ち私たちは誰もが例外なくこの社会「制度」の内部に組み込まれているのであり、この日々接せざるを得ない社会的文脈を、「内部」の情報だけに頼って正当に評価してゆく事は困難であると考えられるからです。言い換えれば、今回の「メラミン汚染」のように、社会心理的な「影響」範囲が一行政区域をはるかに越えている場合、他の「制度」との比較から、自らの立っている位置を再確認できる条件が立ち現れているのだといえます。そこでは、いわゆる「国内」の狭隘な情報を「外部」との関係から意味づけておくことで、「汚染源」は同じでも「情報源」が異なれば「事件」の様相は全く変わってしまうのだ、という認識が可能となるのです。
本稿はまず上編において『新聞』紙上で言及された「基準値」の内実を介在させてゆき、「食の安全」という概念に向き合う際、まさに「エレメンタリー」に必要とされている「知識」は何であるのかを考えてゆきます。そして中編では「汚染源」とその周囲の「制度」の成立過程に向き合いながら、「基準値」設定の背後に存在する「力学」構造が何であるのかを紐解き、更に下編においては、普段「ポジティブ」な意味で言及される「グローバル・スタンダード」が、畢竟誰の為に必要とされているのかを考えてゆきます。
從去年九月到十月,各國的報紙刊登有關食品等「三聚氰胺污染」的報導。這訊息提供了我們思考的契機是,到底應如何「公開資訊」以及「交換意見」。本文以上一篇的論稿〈「記者の目」とは何か〉之中所使用的視點,延續發展,試圖摸索我們所處的媒體社會應持有怎樣的型態。而透過「三聚氰胺污染」此同一事項來執行結構上的批判,其理由無他,因為我們都被「含攝」(subsumption)在這個社會的「制度」內部,任誰都無法例外。然而,我們卻不能僅是靠著生活中不得不接受的這個「內部」訊息作為正當的評價根據。
換言之,如同這一次發生的「三聚氰胺污染」事件一般,它影響到社會的範圍已遠超過某一行政單位所能處理的單純案件,它的發生不但能夠讓我們進行「制度」的比較,而且能夠讓我們重新思考,並界定所處的社會環境之外在條件。即是,可以透過狹隘的「國內」資訊與其「外部」的關係、被隱瞞的資訊之間的認識,讓我們理解到同一「污染源」,經由不同「資訊源」,它的「事件」樣貌就會被完全改變。
本文上篇,首先是透過報紙上討論有關「基準值」的問題出發,並從中反思,當我們在面對「食品安全」此一概念時,原初的條件上必要的「知識」究竟是什麼?而中篇則是進一步地解說「污染源」的周圍,尤其是透過「制度」的建立過程,討論在設定「基準值」的背後存在的「力學」結構為何。至於下篇,筆者則是探討這被受肯定的「國際基準」(global standard)概念,究竟是為了誰的需要而因應而生的?
Subjects
食の安全
基準値/定量限界値
メラミン汚染
汚染源/情報源
ステレオタイプ
Type
journal article
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Name
FOOD SCIENCE 2009-2.pdf
Size
1.82 MB
Format
Adobe PDF
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