https://scholars.lib.ntu.edu.tw/handle/123456789/6839
標題: | 「モラルハザード」の両義性:「事故米」報道は何を伝えたのか(5) 「moral hazard」的雙重意義:「事故米」報導傳達了什麼(5) |
作者: | 戶倉恆信 戸倉恒信 Tokura Tsunenobu |
關鍵字: | 黄変米;人造米;等級鋏状差米;基準値;食の安全 | 公開日期: | 1-十月-2009 | 起(迄)頁: | - | 來源出版物: | 食品と科学 | 摘要: | 三笠フーズの流通先リストの公開一週間前、厚労省は食品安全委員会へアフラトキシンのヒトへの影響評価を諮問していました。つまり国はこの結果を受けて食品に付くカビ毒の「基準値」を設定する方向で検討していたのですが、此処で起きる疑問は、一方で農水省は三笠フーズのカビ米処置に対し、付着部の除去を理由に食品衛生法に該当しないと判断しておきながら、他方で政府保有の「事故米」全てを焼却処分にし、同時に国はなぜ新たに「基準値」を設定しようとしていたのかです。本節では、「事故米」の転売がどういう情況下であれば食品衛生法に抵触するのかを問題にしようというのではありません。今回の一連の「事故米」報道を通じて得た知識には、これまで私たちが積み上げたはずの歴史的経験が、無視されていたことが問題なのです。普段、私たちは実定法の細かな変遷情況を一々確認しながら社会生活を営んでいるわけではありません。人の生活とは、本来因習や常識との間に緊張感を以って営まれていたはずです。しかし国家が一義的に規定する「基準値」の有無だけを根拠とする遵法精神が一旦生活に深く食い込むようになると「安全」は沈澱している因習や常識によって担保されなくなるのです。今回の「事故米」報道が現代社会の何を伝え、そして全量廃棄を選択する時代的契機が如何にして全てを相手にした戦中の歴史を髣髴させたかは、その結果として全てが不足した戦後への省察を通じ検証されるでしょう。言い換えれば、私たちの文明的基調を蹂躙して止まない現代の思考なき「遵法」精神を問題化する上でも、「復興」としての戦後は呼び出されるべき記憶になるのです。 在報紙上公開三笠食品流通追溯表的前一個星期,日本厚勞省向食品安全委員會諮詢有關黃麴毒素對於人的影響評估。即是在事件的表面化之後,國家開始檢討按照此評估所訂定霉菌毒素的「基準值」。但在此所產生的疑問是,農水省一方面在對於三笠食品發霉米的處裡上,以除去附著部份為由,判斷了其並未牴觸食品衛生法,但為何另一方面卻將政府所持有的全部「事故米」都燒毀,又同時國家還檢討新「基準值」?本節,並非思考此次「事故米」的轉賣過程中是在何種的情形之下才會抵觸食品衛生法,而是試圖探討這一次報導中似乎都無視於我們生活中所累積的歷史經驗。通常,我們不會一一確認瑣碎的實定法的變遷過程去經營社會生活。人的生活本來便是以因襲和常識之間的緊張感而被經營的。因此,倘若我們的生活中深陷於僅是有無國家規定的僵硬「基準值」,那麼所謂「安全」是不會因為生活中沈澱而來的因襲或常識所能夠擔保的。這一次的「事故米」報導究竟傳達出現代社會的何種事情?而且選擇「全量」燒毀的時代的契機到底為何?為要認識這種「遵法」精神的意義,則需要回顧,後全量燒毀的時代記憶。 |
URI: | http://ntur.lib.ntu.edu.tw//handle/246246/169182 |
顯示於: | 歷史學系 |
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