https://scholars.lib.ntu.edu.tw/handle/123456789/7100
Title: | 油症問題の同時代史的考察:予防原則と系譜描写の前景(1) | Authors: | 戶倉恆信 戸倉恒信 |
Keywords: | カネミ油症/台湾油症;消費/浪費;前認識/認識 | Issue Date: | Feb-2011 | Start page/Pages: | - | Source: | 月刊むすぶ | Abstract: | 「油症問題」とは、主として1968年に日本で発生したカネミ油症事件と、その約十年後の台湾で発生する「類似」事件の被害者とその家族、及び胎児を含む次世代に対する認知の状況を指すカテゴリーである。さて、カネミ油症事件を「知る」人の多くは、台湾でも日本と同様の中毒事件が起きていたことをここにはじめて「知った」はずである。しかしこの「知る」ことに辿り着く経緯こそが、これから本論を構成してゆくファクターなのである。「知る」という語の意味は多義的であるが、それが情報のいわば量的関心を指す場合、わたしたちは対象を検索し、画面や紙面に現れた語義を読み、そこに何らかの理解を示している。例えば「カネミ油症事件」、と入力すればそれで知識が増えるといった具合に。しかし台湾で発生した油症事件は、通常はカネミ油症事件「から」認識されている。「知る」ことに量的な関心としてでなく、まず質的なことを問う必要があるのは、この前認識への検証なくして「台湾油症」認識の当否は定まらないからである。 所謂「油症問題」,指的是在1968年日本發生的Kanemi油症事件和大約十年後在台灣發生的類似事件的被害者與家族,以及包括胎兒的後代上展開的認知之範疇。對於早已熟「知」Kanemi油症事件的日本人而言,可能現在才「知道」在台灣也曾經發生過與日本同樣的中毒事件。然而如何得「知」,這才是本論的構成條件。雖然「知道」此一語是多義的,但是就如同僅要輸入「Kanemi油症」,就以為增加「知識」一般,若將當它作為量化的知識對象時,我們只要「檢索」這些符號,就閱讀字面上的解說便表示理解。然而在台灣發生的油症事件,通常是經由Kanemi油症事件而被認識的。對其經緯之所以要有詢問的必要,是因為若不對於「前認識」上進行檢證的話,便無法確定「台灣油症」的認識是否恰當。 |
URI: | http://ntur.lib.ntu.edu.tw//handle/246246/232536 |
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