植民地台湾における「生活改善」の展開 : 前史、移入、変質
Journal
日本研究
Journal Volume
70
Start Page
55
End Page
80
ISSN
2434-3110
0915-0900
Date Issued
2025-03
Author(s)
Abstract
本稿は、日本帝国という空間に視座を据えながら、「生活改善」が植民地台湾で展開される最初期段階の様相を検証する。「生活改善」の前史である「簡易生活」に遡りながら、その展開、変質、そして「運動」へと移行する軌跡を跡づける。考察にあたっては、ジャーナリストの越境と書籍の流通に着目し、また、いままで見落とされていた在台日本人も考察の対象に入れながら、「生活改善」の内容と意味合いの変化を分析する。 植民地台湾における「生活改善」運動はこれまで官による台湾人向けの教化運動として理解されてきたが、本稿の検証により、在台日本人も「改善」の対象に含まれていたことが明らかになった。近代化がもたらした複雑化を批判したヴァグネルの『簡易生活』はメディアの情報や書籍の流通によって、1906年に植民地台湾に紹介されたが、その際、在台日本人の奢侈を批判する形に変容し、国家や植民地の経営発展と結びつけられて論じられた。「簡易生活」に対する在台日本人社会の関心は、1910年代後半、ジャーナリスト西村才介の講演活動によって高まったが、賛否両論が存在し、在台日本人のコンセンサスを得た運動にまでは発展しなかった。 1920年の日本本国における「生活改善同盟会」の成立を機に、「生活改善」に対する関心のあり方は大きく変わった。女性雑誌『婦人と家庭』は生活改善の宣伝に大きく寄与したが、顧問の小島清友をとりまく人的ネットワークによって、同誌の主張する「生活改善」は社会主義的な社会改良論から離れ、官主導の「生活改善」運動に接近していった。メディアの報道に加え、在台日本人社会に様々な「生活改善会」が組織されたことで、「生活改善」は徐々に「運動」へと発展していった。しかし、1920年代後半以降、改善の対象は次第に台湾人に移り、教化運動の一環となり、日本本国とは異なる展開を示した。 本研究を通して、植民地台湾で展開された「生活改善」の初期段階の構図を解明し、これまでの研究で見落とされてきた帝国日本との相互関係を検証し、「生活改善」がもった日本本国との連動性と植民地台湾における独自性を明らかにした。
Type
journal article
